【まとめ】新紙幣のデザインに決定した人物の経歴

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2019年4月9日、新時代となる令和を目前に控えた頃に現在使用されている紙幣・硬貨のデザインが変更されることが発表されました。デザイン変更されるのは、500円硬貨、千円札、5千円札、1万円札となっています。これまで紙幣にデザインされていた人物は、野口英世や樋口一葉、福沢諭吉と義務教育でもお馴染みの一度は名前を聞いたことがある人物でした。

では、新しい紙幣のデザインとなる人物は、どのような人物なのでしょうか?今回は、新紙幣となる理由から新紙幣に抜擢された人物についてご紹介していきましょう。

 

なぜ紙幣のデザイン変更をするのか?

これまでも紙幣の変更は行われてきましたが、調べてみると20年ごとにデザインの変更がなされてきたようです。近年から遡ってみると、2004年、1984年、1969年、1950年といったように約20年ごとに紙幣のデザインが変更されてきたことが分かります。

では、なぜ紙幣のデザイン変更が必要なのでしょうか?紙幣デザインの変更には、紙幣の偽造防止を目的としているのです。日本の紙幣には世界でもトップクラスの偽造防止技術が施されています。

ホログラムやマイクロ文字、特殊発光インク、すき入れなど、様々な加工をして偽造防止を行っているのですが、これらは国立印刷局のホームページで実際にどこにどのような技術を用いているのかを見ることができます。画像だけでなく動画でも見ることができるので、ぜひ興味がある方は見てみると良いでしょう。それでも偽造技術も年々進歩していることから、定期的な新紙幣への変更が必要不可欠となっているのです。

今回、新紙幣の導入は2024年を目安に行われる予定なので、新紙幣にはどのような技術が用いられるのか期待できます。次項からは、新紙幣のデザインとなった人物について1人ずつご紹介していきましょう。

 

新紙幣の千円札には「北里柴三郎」

新紙幣の千円札のデザインとなった人物は、「北里柴三郎」です。北里柴三郎は、医学者であり細菌学者、教育者、さらには実業家でもあった人物で、「日本の細菌学の父」としても広く知られています。

世界からも高い評価を受けている北里柴三郎は、ペスト菌を発見したり、破傷風の治療法を発見したりしたことでも有名です。また、当時ヨーロッパで流行したジフテレイアの研究も行っていました。

北里柴三郎は、庄屋を務めている家に誕生しましたが、18歳の時に熊本医学校へ入学し、そこでオランダ人医師であるマンスフェルトの指導を受け医学の道を志したと言います。その3年後21歳の時に、東京医学校へ入学し、より一層医学の道を極めていきました。東京医学校在学中に、医師の使命は病気を予防することにあると確信し、予防医学に専念することとなりました。

その後、ドイツ留学を果たし、病原微生物研究の第一人者であるローベルト・コッホに教えを受け研究を続けます。留学中に破傷風菌の純粋培養に成功し、その毒素に対しての免疫抗体を発見することができ、それを応用した血清療法を確立するまでに至りました。この功績が世界的にも評価され、研究者としての名声を獲得したのです。

さらに、帰国後は福沢諭吉らの支援を受け、伝染病研究所を創立し、さらなる伝染病予防と細菌学の研究に取り組んでいました。創立から2年後に香港でペスト菌が蔓延した際にも、原因調査として現地へ赴き、ペスト菌を発見しました。それから、私立北里研究所を自費で設立し、医学の教育活動も活発に行っていたとされています。

北里柴三郎の弟子としては、現紙幣にデザインされている野口英世や志賀潔などが有名です。弟子からは、ドンネル先生とドイツ語で雷親父と呼ばれていたことも知られています。新紙幣のデザインとなる北里柴三郎は、日本だけでなく世界的にも大きな功績を残した偉人だということが分かりました。

 

新紙幣の5千円札には「津田梅子」

新紙幣の5千円札には、「津田梅子」がデザインされる予定となっています。津田梅子は、日本の女子教育の先駆者とされている教育者です。

実は、NHK連続テレビドラマの「梅ちゃん先生」や「あさが来た」のモデルだったのではないかという声も聞こえていましたが、梅ちゃん先生の主人公は架空の人物で職業も医師、あさが来たの主人公のモデルは女性実業家ということなので、NHK連続テレビドラマのモデルにはなっていないことが分かります。

1864年12月31日に現在の東京で津田梅子は誕生しました。津田梅子の父親は明治時代初期の西洋農学者であった津田仙なのです。そんな父親が募集していた留学生に、津田梅子は6歳にして応募し、当時最年少でアメリカへの留学を果たします。これは、日本で最初に留学をした女性でもあるのです。

幼い頃からアメリカの文化に触れ育った津田梅子は、日本ならではの「女性には学問は必要ない」「女性が学問を身に付けることは結婚するために必要だから」だとしていた考えに異を唱えます。その後、再びアメリカへ留学し、女性の地位を向上させるためにはどうしたら良いのか研究を行い、1900年に女子英学塾を設立しました。

この時代は特に、女性は家庭に入るものとされていたので、女性が経済的に自立するための教育が必要だと考えたのです。英語教師は当時少なく、今後よりグローバルな世界となることを予想した津田梅子は英語教師を目指せるための塾を作ったのです。

現在の津田塾大学の前身でもある女子英学塾で、女性の新しい教育のあり方を変えた人物と言えるでしょう。現代の女性が社会的に自立できるようになったのは、津田梅子の功績があってこそであることが分かります。

 

新紙幣の1万円札には「渋沢栄一」

新紙幣の1万円札には「渋沢栄一」がデザインされることが決まりました。渋沢栄一と言えば、NHK連続テレビドラマ「あさが来た」でも演じられていた人物なので、名前を知っているという方も多いのではないでしょうか?渋沢栄一は生前およそ500もの企業を設立し、日本の資本主義の父とされている人物です。

1840年に当時の武蔵国の豪農の長男として誕生しました。若い頃には江戸で倒幕運動を企てたこともあるとされていますが、用人からのすすめで一橋家に仕えることになったのです。この時に仕えていたのが何と後の江戸幕府第15代将軍である徳川慶喜だったこともあり、渋沢栄一もそのまま幕臣になりました。

幕末にはパリ万博使節団としてフランスに渡り、西洋の産業や制度などを学び、帰国後には商法会所を設立しています。明治維新後の帰国だったため、徳川家とともに現在の静岡県へと移り住むことになったのですが、商法会所が新政府の目にとまり、新政府へ出仕することとなりました。

新政府へ出仕後、財政制度や貨幣制度などを日本の未来のために尽力しますが、軍の予算削減を認められなかったことをきっかけに官僚を辞め、実業家へと転身したのです。今でも有名な企業の立ち上げに関わっているのですが、現在のみずほ銀行や東京証券取引所、東京ガス、富岡製糸場など誰もが知っているような企業と言えるでしょう。

日本の経済に多大なる影響を与えた渋沢栄一は、まさに資本主義の父とも言える存在であることが分かります。経済以外にも教育分野や社会事業にも尽力した人物となっています。このことから、渋沢栄一は日本の未来のために力を尽くした偉人と言えることがわかるでしょう。

それぞれ新紙幣にデザインされる人物をご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?この3人は、それぞれの分野で日本のためのみならず世界のためにも尽力した人物だったと考えられます。新紙幣の人物を知ることで、より2024年の新紙幣がより楽しみになるでしょう。

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