安田隆夫氏の顔写真

ドン・キホーテ創業者・安田隆夫氏が成功した理由【経歴や資産・家族・自宅・名言などを徹底調査】

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このページでは、ディスカウントストアの最大手といえるドン・キホーテを創りあげた安田隆夫(やすだたかお)氏の経歴や資産、ご家族、自宅や名言についてや、ドン・キホーテ誕生のきっかけ、企業実績や今後の展望などを調査しています。

ドンキホーテの店舗画像

ドン・キホーテといえば深夜まで営業し、食品から日用雑貨までなんでも揃うお店と認識している人も少なくないでしょう。
店舗ごとに個性があり、日本人だけでなく海外旅行者にも人気が高いです。
そのドン・キホーテは、PPHI(パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス)グループの創業会長兼最高顧問である安田隆夫氏が最初に手掛けたお店からスタートしました。

安田隆夫氏のプロフィール(経歴)

安田隆夫氏(ドン・キホーテ創業者)

画像引用元

安田隆夫(やすだたかお)氏のPROFILE

■出身地/岐阜県大垣市
■生年月日/1949年(昭和24年)5月7日 現在73歳
■学歴/岐阜県立大垣南高等学校→慶應義塾大学法学部卒業
■家族/妻(マ・ヤピン)・息子(安田純也)
■純資産/28億アメリカ合衆国ドル

※2022年時点の情報です

ドン・キホーテの創業者である安田隆夫氏は1949年、岐阜県大垣市に生まれました。
慶應義塾大学法学部を卒業後、不動産会社に就職。しかし、入社からわずか10ヶ月後に倒産してしまったそうです。
それからさまざまな経験を積み重ね、29歳となった1978年にドン・キホーテの前身である「泥棒市場」を東京杉並区にオープンさせます。

深夜営業の業態が功を奏し、成功を収めますが、5年で売却し、現金問屋を運営をスタート。その後、1989年に「ドン・キホーテ」1号店を東京・府中市にオープンし、小売業へ再参入しました。
同時に株式会社ドン・キホーテ(現株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス)の代表取締役社長となり、2005年には代表取締役会長兼CEOに就任しています。

代表取締役会長兼CEOを退任後にシンガポールに拠点を移す

シンガポールのマーライオン

その後、2015年6月に代表取締役会長兼CEOを退任し、創業会長兼最高顧問に就任。拠点をシンガポールへ移して、Pan Pacific Retail Management(Asia)Pte. Ltd. の会長兼社長兼CEOとなりました。

安田隆夫氏の画像

画像引用元

そして、日本産品専門のコンセプトショップ「DON DON DONKI」を創業。同店は現在、アジア6ヶ国・23店舗を展開し(2021年9月地点)、人気店として成功を収めています。

安田隆夫氏の現在は?

ビジネスメディア「財界オンライン」の2022年04月20日付けのインタビュー記事によると、安田氏は現在、シンガポール、香港、タイなど、アジア6カ国・地域30店舗(2022年2月末時点)ある「DON DON DONKI」の運営に全力で取り組んでいるとのこと。
経営や現在の日本について、以下のように語っています。

「小売業とは変化に対応する仕事。こういう大きな変化があった時は、やり甲斐がある局面だとも言える。そうした危機を乗り越えないと、本当にいつ駄目になるか分からない状況の中で今までやってきましたから、そういう意味では、一つ一つの危機がかえって、わたしたちを強くしてくれたと思う」

「円安もそうだし、賃金も上がらず、物価も上がらない。日本のモノがどんどん安くなっているから、海外でメイド・イン・ジャパンの専門店をつくっても海外のお客様からは、何だこんなに安いのかと思われている。お客様が喜んで買っていただけるのは嬉しいが、日本人としてこれを喜んでいいのかどうかは疑問」

「社員の頑張りがあって、ここまで来ることができた。現場の社員に権限を委譲する現場主義と、顧客最優先主義を実践してきたことが大きい。こうした原点は今後も変わらない」

新型コロナウイルス感染症やウクライナ侵攻など、世界情勢の変化による経営の危機をチャンスに変えるという、安田氏の手腕や意思の強さが読み取れるコメントですね。

資産は?

安田氏は2021年4月、アメリカの経済誌・フォーブスが発表した「日本長者番付」で13位にランクイン。
資産額は4410億円
となっています。

馬主でもある?

安田隆夫氏が名付け親のレッツゴードンキ

引用元

2015年の桜花賞で優勝した馬の名前は「レッツゴードンキ」。馬の名前から馬主はドン・キホーテ関係者ではないか?と、連想できます。

実はレッツゴードンキの名付け親は安田隆夫氏。安田氏は馬主ではなく、馬主である廣崎利洋氏と仲が良かったことから名付けを依頼されたそうです。

レッツゴードンキは2019年に引退しましたが、美人馬として現在も根強い人気を誇っています。

安田隆夫氏の交友関係の広さがうかがえるエピソードですね。

現在のご自宅は?

東京都世田谷区に居住されていたそうですが、その後は事業展開するシンガポールに住居を移されたようです。
現在のご自宅は、シンガポールの南に位置するセントサ島(セントーサ島)。17億円で購入したという1軒家にお住まいとのこと。


※セントーサ島の地図

敷地面積は約8,500平方フィート(約789㎡)、セラポン・ゴルフコースの近く、海と湖の景観が楽しめる高級住宅のようです。

妻や子供は?家族構成について

安田氏の奥様は、マ・ヤピンさん。シンガポールのご自宅は奥様の名義でご購入されたそうです。

安田隆夫氏のご家族の画像

※画像引用元

お写真を拝見したところ、とてもお綺麗な方です。きっと長きに渡り、安田氏を支えてこられたのでしょう。

また、ご子息がおり、お名前は「安田純也」氏。安田氏と同じく会社経営をされているとのことです。

 

安田隆夫氏の名言・格言をチェック

一代でドン・キホーテを創業し、成功を収めた安田隆夫氏。たくさんの苦労も経験したきた彼の言葉には、学びや気付きがあるはずです。
名言や格言ともいえる言葉をあつめてみました。

「勝つまで辞めない。これが『究極の必勝法』である」
「人生のバランスシートは案外公平にできていると思う。
足りているものと足りないものが絶妙に釣り合っている」
「俺は波瀾万丈の生き方をしたい」
「試してみる。駄目なら、また試す。試さない理由や、出来ない理由を探さない」
「理論や理屈でなく感性を磨け」
「この世は理不尽だらけ。いくら頑張っても、うまくいかないことはあります。
そうした事実を変えることは不可能です。しかし、自分の心のありようは、自分で変えられる」
「若い頃の私も、「相手のことを分かるようになる日が来るかもしれない」と、期待も込めて思っていました。しかし、それは錯覚であり、幻想だった。「やはり、相手のことは分からないのが当たり前。これが真理」だと確信しています」
「若い頃にリスクをおかさず、人生の最後に『もっと思い切りやっておけばよかった』と
後悔することが最大のリスクだと思います」
「20代の頃にバカな人生を送ったせいで、人間の本質的な部分をいやおうなしに学ばせてもらいました」
「自分の体質にあったことをやれば、成功なんてそんなに難しくない」

安田隆夫氏の書籍・著書

ためになる名言・格言が多い安田氏は著書も多数発売しています。

安田隆夫氏の書籍一覧

■安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生(2015/11/20)
■情熱商人 ドン・キホーテ創業者の革命的小売経営論(2013/4/8)
■ドン・キホーテ 闘魂経営(2005/8/31)
■ドン.キホーテの「4次元」ビジネス―新業態創造への闘い(2000/4/1)
■流通革命への破天荒な挑戦!―ビジネスの原点は「常識」を疑うことだ(1997/11/1

著書を読めば、さらに安田氏のことを深く知ることができるかもしれません。

ドン・キホーテが誕生するまで

安田氏は29歳の時、1978年に「泥棒市場」を東京杉並区にオープンさせます。この小売店こそが、ディスカウントストアの最大手といえるドン・キホーテの前身です。
泥棒市場は、ずか18坪ほどの店舗で倉庫スペースも狭かったため、床から天井までびっしり商品を積み上げていました。
商品には一つひとつ手書きの商品紹介カード(POP)をつけ、訪れた人を積み上げた商品で圧倒しつつも掘り出し物を探す楽しさを提供しました。
安田隆夫氏は人手が足りずに閉店後も商品の陳列作業を行っていたところ、営業中だと勘違いをした買い物客が多く訪れたことから深夜営業に需要があることを見出します。
コンビニエンスストアも23時までの営業しか行っていなかった当時、24時まで営業していた「泥棒市場」はその目新しさと独特な店舗空間が評判となり、年商2億円を売り上げる成功を納めました。

「逆張りの発想」を貫き成功

「泥棒市場」がなぜそこまで成功したのか、それには理由があります。
安田隆夫氏は小売業を始めるにあたって、大手小売企業の真似は絶対にしないという“逆張り”発想を貫くことを決めていたそうです。
同業他社と同じことをしていては新しい需要は生まれませんし、そもそも資本力が違うので絶対に勝てません。
これまでの発想をすべて覆すくらいの意気込みで取り組まなければ小売業界では生き残れないと直感していたのでしょう。
在庫が倉庫に入らないなら店内に陳列してしまうという解決策は、これまでであれば異端です。
しかし、店内通路や商品棚を度外視した陳列方法は買い物客に好評でした。
そこには、商品を探す楽しさがあったからです。

安田隆夫氏は店内を「売り場」とは言わず、お客様が買いたい品を探す「買い場」と表現しており、これは現在のPPIHグループに脈々と受け継がれる企業理念集「源流」が定める顧客最優先主義にも示されています。
「泥棒市場」が軌道に乗り、1980年には小売業の株式会社ジャスト(現パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス)を設立、1989年にはついに東京府中市にドン・キホーテ1号店をオープンさせます。

ドン・キホーテ創業から現在までの業績

創業から現在までの実績を見てみましょう。

創業より連続増収営業増益を達成

ドン・キホーテは1号店をオープンし、迎えた最初の決算から増収営業増益を達成し続けています。
見込みがあると判断した事業の取り込みや、地域にマッチした店舗づくりなど、状況に応じた柔軟な対応が業績を押し伸ばしてきました。
ドン・キホーテの店舗一つ取ってみても、その業態は様々で、「MEGAドン・キホーテ」では豊富な品揃えと驚きの安さをコンセプトに、PPIHグループの中核業態である「ドン・キホーテ」ではコンビニエンス・ディスカウント・アミューズメントの三位一体をコンセプトにと、周辺環境に合わせてもっとも有効なタイプの店舗を出店し、増収営業増益を実現してきました。

しかし、それだけで30年近くも成長を続けられるのでしょうか?
その答えは創業者の安田隆夫氏が掲げる企業理念「源流」にあります。

徹底した個店主義で需要を見極める

全国展開している小売業では通常、運営本部が取引先や取扱商品、各店舗への納品数量までを決定します。
各店舗は入荷された商品を運営本部の指示通りに陳列し、販売します。

一見するととても効率の良い店舗経営のように思えますが、この方法では店舗の個性は一切出ません。
また、同じ商品であっても地域によっては需要が異なり、関東地方で人気が高いからといって関西地方でも売上が伸びるとは限らないのです。
しかし、地域差や需要の機微などは運営本部は把握ができず、否応なしに納品された商品は、原価を無視した価格設定などの店舗努力で売り切らなければならず、大きなロスが生まれます。
さらに、運営本部からの指示通りに動けばいいだけなので自分たちで考え、行動に移す力が育ちません。

「源流」が定める企業理念には顧客最優先主義の他に“権限移譲による個店主義”というものがあります。

電球
権限移譲とは、企業の経営組織において、部下に権限を付与する行為を言います。
ドン・キホーテの1号店がオープンした際、安田隆夫氏は従業員に自分のノウハウや経験を教えようとしたそうですが、うまくいきませんでした。
そこで教えるのではなく、自分たちでやらせてみる、“逆張り”の行動に出ます。
店舗経営にかかわる業務のほとんどを従業員に任せてみたのです。
このことが「源流」にある権限委譲による個店主義の始まりでした。

今ではドン・キホーテの各店舗に権限移譲され、全店舗が「個店」扱いとなっています。
環境やノウハウは用意しておき、あとは各店舗に運営を任せるのです。
店舗ごとに取扱商品を選び、入荷数量を決め、陳列方法や価格設定といったすべてを行います。

自由度が高く、思うような店舗運営ができる代わりに、しっかりとした収益を上げなくてはならないので責任は増します。
従業員一人ひとりが買い場に責任を持つことで売上はもちろん、常にトレンドや需要を意識した店舗になるのです。
権限移譲は任されたことへの責任感もさることながら、予測通りの結果が出た時の高揚感や達成感を味わえ、より仕事や職場への愛着へつながります。

ドン・キホーテの業績が順調な伸びを見せているのは、従業員一人ひとりに、結果を出すために考え、行動に移せる力が備わっているからといっても過言ではないでしょう。

海外展開の実態とこれからの展望

ドン・キホーテが海外展開したのはなぜなのでしょうか。その理由や展望は?

海外展開の実態

全国展開を続けるドン・キホーテが海外展開を開始したのは2006年でした。
ハワイに「ドン・キホーテUSA」を3店舗オープンさせたのです。
その後、ハワイやカリフォルニアにスーパーマーケットを展開する企業をグループに迎えることで、新規出店も含め2018年にはPPIHグループはアメリカ国内に38もの店舗を持つこととなりました。

地域に合わせた店舗展開

アメリカだけでなく、東南アジア地域にも展開を進めています。
2017年にシンガポールに出店したドン・キホーテは、これまでにない新しい業態「DON DON DONKI」です。
「DON DON DONKI」は、安田隆夫氏が開発した、“ジャパンブランド・スペシャリティストア”をコンセプトにした業態です。
海外展開にあたっては日本とは違ったドン・キホーテを作りたいと考えていた安田隆夫氏は、現地で売られている日本の食品に着目します。

シンガポールでは日本の食品は人気が高く、日本の相場の2~4倍と高額であっても売れ行きが良く、現地ではこれを当たり前のこととして捉えられていたのです。

安田隆夫氏は企業理念に掲げている顧客最優先主義の精神を刺激された安田隆夫氏は海外展開の起点に、これらの問題解決を据えることにします。
また、これを解決することは、日本の食品生産者を支援することにもつながります。
何より、シンガポールの消費者たちにも喜ばれ、結果として日本のイメージはさらに向上することまで考えました。
そのような背景から、これまで培ったノウハウやキャリアを活用し、店舗の品揃えは食品をメインにした「DON DON DONKI」がオープンしたのです。

まとめ

今や連結業績にて売上高13,000億円を超える一大企業となったPPIHグループのドン・キホーテですが、始まりはわずか18坪ほどの小さな店舗でした。
しかし、顧客最優先主義・権限委譲による個店主義といった企業理念は当時から変わらず受け継がれています。
それは安田隆夫氏という一人の強い意志や経験が生み出したものでした。

“大企業に対抗するための逆張り”が海外にも順調に展開を進める大企業を創り上げたともいえ、その経営センスの良さが改めて感じられました。

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