【森光太郎】日本最大級の育児支援サービス企業の経営者を徹底調査

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日本最大級の育児フェスタの開催や、子育てに役立つ情報誌の配布、交流サイトの運営、ビジネススクールなど、子育てに関する様々なサービスを展開しているのが株式会社エンファム.です。

エンファム.は「やりがいある仕事ができて楽しい」と社員一同が口々に語る会社です。
そんな素晴らしい職場環境を生み出す社長は、どういった方なのでしょうか?

本記事ではエンファム.の代表である森光太郎氏が、いったいどんな人物なのかご紹介していきます。

株式会社エンファム.社長、森光太郎とは?

まずは、エンファム.代表の森光太郎氏のこれまでの歩みをご紹介していきましょう。

生まれや生い立ち、家庭環境について

森光太郎氏は1971年9月13日生まれ、出身は福岡県福岡市です。

祖父・父と2代続く医者の家系に生まれた森氏は当然跡継ぎになるように教育され、自然と「将来は医者になるつもりでいた」と語っています。

しかし森氏の家庭は決して円満ではなく、自身も多くの葛藤を抱えたくさん傷ついてきたそうです。

学生時代、出身校について

森氏は小学校の受験で落ちしてしまった結果から、ずっと勉強に対するコンプレックスがあったと語っています。
将来は医者になるつもりで勉強にも必死に取り組んでいましたが、努力しても2番目にしかなれないという現実に悩んでいたそうです。

そんな中、小学校6年生の時に両親が別居。最終的に離婚に至り母に引き取られることになりました。
中学に上がると成績はどんどん落ちていってしまったそうです。

これではだめだと塾に通い始めた森氏は見事落ちぶれた成績を戻すことに成功し、県立で一番いい高校に進学
しかし、安心したのもつかの間、なんと学年最下位の成績まで落ちてしまったのです。

周りについていけないことから学校もサボるようになり、これまで打ち込んできた野球も辞めてしまいます。

その後、残された選択肢である医者を志し高校をなんとか卒業するも、色々な大学の医学部を受けてもことごとく落ちてしまい、2年間浪人を経験

そんな時に父から「おまえが頑張って医者になったところで、大した医者にはなれん」と言われ、衝撃を受けます。
患者の痛みや苦しみといった気持ちは分かってあげられるとしても、命を救えないのであれば意味がないと気付いた森氏は医者を諦めます。

その後、医者を辞めるなら東京に行きたいと考え、日本大学生産工学部に進学したそうです。
「医者にならなければいけない」という圧力から解放された森氏は、充実した毎日を過ごしながら見事大学を卒業します。

趣味、性格について

森氏は小学校3年生からずっと野球を続けてきました
現在も野球が趣味であると公表しています。

野球ではピッチャーを務めており、培った連携力やストイックさは仕事にも活かされているようです。

また、過去に営業職で実績を上げられた理由は森氏の社交性とコミュニケーション能力の高さにあると言って良いでしょう。

失敗と成功を経験した会社員時代と起業するきっかけ

決して順風満帆な学生時代ではなかった森氏ですが、その苦労は就職後も続いてしまいます。

森氏の中では会社員時代が一番挫折した時期だったと語っており、数々の苦労の末にエンファム.が誕生していると考えると、かなりの苦労人と言えます。

続いては、失敗と苦労の連続だった森氏の会社員時代についてご紹介していきましょう。

苦労、挫折ばかりの会社員時代

森氏が就職活動を行っていた時代は就職氷河期と言われていた時代です。

加えて、理系を専攻していた森氏はおしゃれな仕事がしたいとアパレル系ばかりに履歴書を送っており、なかなか就職をものにできませんでした。
その際に書いた履歴書はなんと100枚以上にのぼります。

結局入社できたのはジュエリー会社で、そこでは地域の高所得者が来る展示会でジュエリーを売る仕事を行っていました。
森氏はすごく楽しく仕事ができていたのですが、景気が一段と厳しくなった時に会社をクビになってしまいます。

ジュエリー会社で働いている当時、デザイナーが売る方がよく売れたという経験をしたこともあり、デザイナーになるべく、100万円の退職金をデザイン専門学校の学費に充てました

厳しいアルバイト生活を送りながらも学んだデザインスキルを活かすために入社したのが、とあるデザイン事務所です。
しかし、その会社もたった2ヶ月でクビになってしまうという挫折を経験します。

短い期間でクビになってしまった理由は、デザイン事務所に舞い込んでいた大きな案件がなくなってしまったことが原因でした。
今度は地元で就職活動をしようと福岡へと帰った森氏は、広告代理店でデザイナーに就くことになります。

会社員時代の成功体験とは?

地元の広告代理店で働きはじめた森氏はそこから成功の道を歩んでいきます。

会社の企画で育児PR誌を手掛けることになった森氏は、とにかく上司に言われた内容を守りながら作り、4万部ほどを150部ずつ梱包して幼稚園や保育園に送りました。

当時作成した冊子はよくある紙メディア誌で、たった10人しかいない施設にも150部送っており広告費は取れるものの、広告に対するリアクションがないことに悩んでいたと話します。

クライアント側からも「出しても効果がない」と言われましたが、コンテンツに魅力を感じていた森氏は会社に交渉してPR誌を手掛けることを継続します。

もっとPR誌の内容を充実させようと考えた森氏は、多くの幼稚園や保育園を訪れ現場の苦労や声を聞き、それを参考にPR誌を作成
誕生した新しいPR誌は大反響を呼びました。

気がつけば小児科がある病院やスーパーにも置かれるなど読者を増やし、広告も売れるようになっていったのです。

起業に至るきっかけ

森氏は準備をした上で起業したわけではありません。
会社からもっと売ることに専念しろと言われ、喧嘩別れをしてしまったことがきっかけです。

会社を辞める際は媒体に関わっていたスタッフの11人中9人がついてきてくれたとのことです。
そんなメンバーと2001年に作り出したのが有限会社イリス(現エンファム.)です。

かき集めた貯金300万円を駆使して、起業3ヶ月後にはフリーマーケット事業を始め、次第にスポンサーが付き、ランチオフ会も開催できるまでになります。

そして東京にも進出して大きくなったエンファム.は、オンライン・WEBサービスを展開し時代に合わせたサービスを切り拓き、現在の成長企業へと至ったのです。

森氏の社長としての役割とエンファム.の現在と今後について

引用元:https://corp.l-ma.co.jp/2020/12/25/enfam/

最後はエンファム.での社長の役割についてご紹介していきます。
これまで数多くの人を引っ張ってきた存在である森氏は、現在どのような活躍をしているのでしょうか?

森光太郎氏のエンファム.での役割

森氏は現在エンファム.の事業を滞りなく進められるように営業に勤しんでいますが、他にも社員一人ひとりが働きやすいと感じられる現場づくりも行っています。

現在コロナ禍によって広まったテレワークですが、実はエンファム.ではその数年前から既に在宅勤務を導入していました。
一人ひとりがハイパフォーマンスを発揮できるような労働環境にしようと常に考えているのです。

そういった取り組みにより集まった社員は子育て世代だけではなく、若手社員も多く在籍しているのが特徴です。
今後もより大きな事業展開を行っていけるように現場環境を整えていくことに、森氏は注力していると考えられます。

エンファム.が展開する事業

エンファム.では現在、育児情報誌リトル・ママの出版を行う他、コミュニティ型育児情報ホームページの運営子育て世代をターゲットにしたイベントの企画・運営ママ向けのビジネススクールの企画・運営といったように様々な事業を展開しています。

特に、子育て世代をターゲットにしたイベントである「リトル・ママフェスタ」は、年間約10万人を動員するなどエンファム.を代表する事業の1つです。

画像引用元:https://enfam.jp/service/

こちらは親子どちらもイベントとなっており、各種ステージイベントや参加型イベントのハイハイレースをはじめ、

子育てサポーター企業やママたちによるブース出展ワークショップに育児セミナーなど、まさに「遊ぶ」「学ぶ」「出会う」の3拍子が揃った大型イベントとなっています。

さらに、子育てサポーター企業からもらえる各種景品もリトル・ママフェスタの醍醐味の1つ。

ただ参加するではなく、こういったプラスαがある点もママたちから人気を集める理由と言えるでしょう。

エンファム.のこれからについて

エンファム.ではこれまで0~6歳児の子どもを持つママをメインターゲットにしてきました。

しかしこれからはそんなリトル・ママを進化させてパパやおじいちゃんおばあちゃんを対象とした様々なメディアを誕生させていくとのことです。

このような目標を掲げる中で森氏は、「いくつになっても常に現場目線で働ける環境をつくる」と公言しています。

また、女性だけではなく、男性、若手、未婚社員も「エンファム.の仕事を自分事として捉えリアリティを感じることで、すべての子どもの笑顔につながる事業を進めていきたい」と、語っていたのが印象的でした。

まとめ

引用元:https://www.wantedly.com/companies/l-ma

今回は数々の子育て応援事業を手掛ける株式会社エンファム.の代表、森光太郎氏に迫ってきました。
これまでの森氏の歩みを見てみると、多くの苦労を経験してきた人物であることが分かります。

学生時代・会社員時代にたくさんの挫折を味わいながら挑戦する気持ちを捨てなかった森氏のチャレンジ精神は、今のエンファム.にも受け継がれているのでしょう。

どうすればもっと社員が果敢にチャレンジできるようになるのかを考えた先の労働環境は、時代のニーズに寄り添った働き方となっています。

今後もハイパフォーマンスを発揮できる労働環境が生み出すサービスを発信し、よりエンファム.は成長していくでしょう。

 

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