個人資産約2兆円「佐治信忠」の経歴やプライベート情報

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日本の実業家として有名なだけでなく、飲料メーカー・サントリーホールディングスの代表取締役会長を務めている佐治信忠氏は、日本の富豪ランキングの上位を常にキープしています。

今回は佐治信忠氏の経歴やプライベート情報、名言などについてご紹介します。

 

佐治信忠氏の経歴や資産情報

佐治信忠氏は1945年11月25日生まれ、兵庫県でサントリー2代目の社長である佐治敬三氏の長男として誕生しました。1964年甲陽学院高等学校を卒業、慶應義塾大学経済学部に入学します。1971年カリフォルニア大学ロサンゼルス校経営大学院修了、同年4月にソニー商事に入社します。1974年にサントリーに入社して、1989年3月にサントリー副社長に就任します。

2001年3月にサントリー社長に就任し、その他にも日本洋酒酒造組合理事長就任、日本ワイナリー協会会長就任、2002年の3月にはサントリーの会長も兼務することになりました。その後も2002年5月に社団法人総合デザイナー協会理事長就任、2003年8月にはビール酒造組合会長代表理事に就任します。2009年からサントリーホールディングス社長就任となり、2014年10月からはサントリーホールディングスの会長に就任しています。

佐治信忠氏の総資産額は1兆8850億円で、日本の富豪ランキングでは3位となっています。1位はソフトバンクの孫正義氏でその資産額は2兆2930億円、2位はファーストリテイリングの柳井正氏の2兆210億円となります。ある時期にはランキングに名前が掲載されないこともありましたが、全盛期には総資産は20数億円もあったと言われています。

 

サントリーの歴史と歴代社長の販売戦略

サントリーは「sun+とりい」から「sun tory」となった経緯があり、そのサントリーの初代社長となったのは鳥井信治郎氏です。常に鳥井家の親族によって受け継がれてきたサントリーですが、その歴史と歴代社長が行ってきた経営戦略についてご紹介します。

1899年に鳥井信治郎氏は独立し、鳥井商店の看板を掲げました。当時の日本には洋酒を飲む習慣はなかったのですが、そんな中本場の葡萄酒の美味しさを知った鳥井信治郎氏が、スペインから葡萄酒を輸入して販売したのがきっかけです。でも、葡萄酒は渋くて酸味があることから庶民受けすることなく商売は失敗したのですが、これが鳥井信治郎氏の闘志を燃やすこととなり、自分で葡萄酒を作り出すきっかけになりました。

試作を重ねていった結果、赤玉ポートワインが完成し、それが好評となりました。この成功がきっかけとなり、その後は日本にウイスキーの時代が来ると予測してウイスキーの製造に挑戦します。ウイスキー作りを始めて14年目に角瓶が誕生し、現在でもサントリーの代表的なウイスキーとなっています。

1961年に社長に就任した佐治敬三氏は鳥井信治郎氏の二男であり、ウイスキートリスの大量生産販売体制を整えて、サラリーマン層のウイスキー普及に努めた人物でもあります。また日本になかったビールを社員と共にデンマークに製造や販売するノウハウを学びにいき、その後日本初の生ビールを販売、ビール業界に新しい風を吹かせました。

1990年に社長に就任した鳥井信一郎氏は、鳥井信治郎氏の孫でサントリー副社長の鳥井吉太郎の子供です。鳥井信一郎氏は、サントリーに発泡酒という新しいジャンルを切り開き、サントリーホップスやマグナムドライなどの新銘柄を打ち出すキーパーソンとなりました。

2001年からサントリーの社長に就任した佐治信忠氏は、アメリカでの和製ウイスキーの販売の伸び悩みをきっかけに、今までアメリカで販売していたウイスキーの販売を取りやめ、メロンリキュールにその全てを充てた結果、輸入リキュールトップ5にランクインされるほどのロングセラー商品となりました。

また、米ペプコム社を買収してアメリカの清涼飲料市場に参入し、日本でペプシコーラを販売するきっかけ作った人物でもあります。その後もフランスのオランジーナ社や米ビーム社を買収していき、どんどんグローバルな市場展開をしていきました。

現在はアルコールなどを筆頭に清涼飲料水だけでなく、プロントやサブウェイなどの飲食業界にも参入し、様々な形で事業展開しています。このように、サントリーホールディングスは常に時代に新しい風を送り込み、何かの先駆けとなることも多かったように感じます。

 

佐治信忠氏の経営戦略や名言について

2014年に新浪剛史氏が社長になるまで、100年以上もの間親族などで経営のトップを走ってきたサントリーホールディングスですが、その社長であった佐治信忠氏は常に”やってみなはれ”の精神で仕事を行ってきたといいます。その経営戦略や名言についてご紹介します。

どこまでも「やってみなはれ」の精神で

佐治信忠氏は松下電器産業会長の松下正幸氏との対談で、このような内容の会話をしています。『「やってみなはれ」精神を発揮し続けるかが大切』これには、どんな状況でもやってみることが大切という意味だけでなく、多くの意味がこの「やってみなはれ」に含まれていて、さらにこの「やってみなはれ」精神によって大きなものが得られるとも語っています。

新しいことにチャレンジし続ける精神があれば、どんなことにも挑戦できるはずですが、やはり会社が大きくなってきたことや、みんなが年齢を重ねていくことで前例主義や悪しき官僚主義がはびこってしまう傾向にあります。それをいかに打破して、「やってみなはれ」精神を発揮し続けるかが大切であり、そのために高い目標を与えたり、革新を目指したりすることもあります。それらも1つの「やってみなはれ」であるため、これによって社内をまとめることもできると語っています。

また、新しい社長として元ローソンの会長に就任していた新浪剛史氏を社長にしたのも「やってみなはれ」精神だったと語っています。サントリーホールディングスをさらにグローバルな会社にしていくために、若くて語学堪能、そしてバイタリティのある50代を探していたところ、ちょうど良かったと就任理由を語ると同時に、これも全て「やってみなはれ」精神だと語っています。

ショックを受ける社員がいるかもしれないが、これも「やってみなはれ」であり、いずれは社内に受け入れられる人材であると思っているとも語っています。

常にグローバル化を考えて進めることができ、まだ思うようにいかない国際化を進めるために海外での市場やシェアの拡大、柱の1つとなっている健康食品事業も将来的に世界に向けて打ち出せることがあるかもしれないので、そこに向けて思い切って「やってみなはれ」という基本的な精神を貫き通したいとも語っていました。

常にトップが社員に対して「やってみなはれ」精神を出していかなければならない、1回ダメでも10回やってみること、100回ダメでも1000回やってみること、そして常に「やってみなはれ」を飽きずに言い続けることが大切だとも語っていて、そこにいくまでの道のりは簡単ではないものの、その精神を持ち続けて言葉として言い続けることが未来の道となるようです。

今回は、日本の実業家でもある佐治信忠氏の経歴や資産、経営戦略などについてご紹介しました。親族での経営で常に企業のトップを走ってこられたのは、この「やってみなはれ」精神を幼い頃から受け継がれてきたからなのかもしれません。この「やってみなはれ」精神は現在の社長である新浪剛史氏にもしっかりと伝わっているようで、今後もグローバルな発展が期待できるでしょう。

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