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昭和世代女性必見!悲劇の映画スター「リバー・フェニックス」の魅力を徹底追求

本記事に関して、アフィリエイト及び記事の掲載費用等をいただいた上で記事を掲載しています。

皆さんは、リバー・フェニックスという俳優を知っていますか?23年というとても短い生涯をとじた彼は、14の作品を残しています。そんなリバー・フェニックスは、昭和世代の女性にぜひ知ってもらいたい俳優でもあります。今回は、リバー・フェニックスがどのような人物なのか、どのような魅力の持ち主なのかということをご紹介していきましょう。

 

リバー・フェニックスの生涯

リバー・フェニックスは、カトリック教徒であり大工を生業としていた父親と正統派ユダヤ教徒の母親の間に長男として誕生しました。アメリカ合衆国オレゴン州マドラスという場所で生まれた彼は、リヴァー・ジュード・ボトム(River Jude Bottom)と名付けられました。名前の由来は、ヘルマン・ヘッセが手掛けた『シッダールタ』の中に出てくる皮だと言われています。

リバー・フェニックスの両親は「神の子供たち」(現在のファミリー・インターナショナル)の活動家だったため、幼少期は南アメリカの各地を転々とする生活を送っていたと言います。5歳の頃には、ベネズエラのカラカスという場所で妹と一緒に舞台に立って歌うこともあったそうです。

そして1977年にはアメリカに帰国し、ロサンゼルスに移ります。この時、灰になっても蘇るフェニックスのように再生したいという思いを込め、家族全員でフェニックス(Phoenix)という本性に改姓します。その後は、妹と共にえお上でパフォーマンスをしながら生活費を稼いでいました。

そんなリバー・フェニックスは、「神の子供たち」(現在のファミリー・インターナショナル)に対して批判的な発言をすることもありました。貧しい生活を強いられていたのは、宗教活動をしていたからだと考えたためこのような発言に至ったと考えられます。

そのような経験をしてきたリバー・フェニックスは、10歳の時に初めてテレビに出演します。CMやテレビ番組などの仕事をしながら、1985年に『エクスプロラーズ』で映画俳優としてデビューし、1986年の『スタンド・バイ・ミー』で大きな注目を集めました。

『スタンド・バイ・ミー』で有名になることができてからようやくフェニックスは車を買えたと言います。1988年に出演した『旅立ちの時』では、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなどスターへの階段を駆け上がっていったのです。1991年に配給された『マイ・プライベート・アイダホ』ではヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞し、リバー・フェニックスの代表作になりました。

しかし、1993年にとても悲しい出来事が起こります。なんとリバー・フェニックスが心不全で亡くなったのです。この時、23歳でした。死因は、ヘロインとコカインの過剰摂取だったと言われており、遺灰は故郷であるフロリダに空中散布されました。

 

幼い頃の心の傷がリバー・フェニックスの魅力になった

リバー・フェニックスの両親は「神の子供たち」(現在のファミリー・インターナショナル)の活動家でしたが、教団内には性的虐待が蔓延っていました。リバー・フェニックス自身もその被害を受けた1人です。それに見かねた両親は、教団から抜け出すことを決めました。そのような経験はできればしない方が良かったと言えるでしょう。

しかし、その経験があったからこそリバー・フェニックスならではの魅力を生み出すことができたのではないでしょうか。リバー・フェニックスが見せる憂いに満ちたような表情は、過去の経験があったからこそだと考える人もいます。

俳優としての活動はもちろんですが、ミュージシャンとしての活動も行っていて、双方の才能を開花させました。それだけではなく、動物愛護や自然保護にも力を注いでいたという点もリバー・フェニックスの魅力だと言えるでしょう。

 

リバー・フェニックスが出演した作品と受賞歴について

次は、リバー・フェニックスが出演した作品についてご紹介していきましょう。

リバー・フェニックスの出演作品
  • 旅立ちの時
  • 恋のドッグファイト
  • 愛と呼ばれるもの
  • エクスプロラーズ
  • モスキート・コースト
  • スタンド・バイ・ミー
  • ジミー さよならのキスもしてくれない
  • リトル・ニキータ
  • インディ・ジョーンズ 最後の聖戦
  • 殺したいほどアイ・ラブ・ユー
  • スニーカーズ
  • ダーク・ブラッド
  • アメリカンレガシー
  • マイ・プライベート・アイダホ

受賞歴は以下の通りです。

リバー・フェニックスの受賞歴
  • 第46回 ゴールデングローブ賞(1989年) 最優秀自演男優賞 旅立ちの時
  • 第61回 アカデミー賞(1989年) 助演男優賞 旅立ちの時
  • 第48回 ベネチア国際映画祭(1991年) ボルビ杯(最優秀男優賞)  マイ・プライベート・アイダホ

このようにリバー・フェニックスは数多くの作品に出演し、輝かしい功績を残しています。このことからも、非常に魅力的な俳優であったということが分かるでしょう。

昭和世代の女性であれば、リアルタイムでリバー・フェニックスに魅了されたという人もいるのではないでしょうか。もしも、リバー・フェニックスが出演している作品を観たことがないという方は、ぜひ観てみてください。きっとリバー・フェニックスの魅力に心を奪われます。

 

リバー・フェニックスのファンは今でもたくさんいる

リバー・フェニックスの魅力に魅了され、今でもファンだという人は少なくありません。最後にリバー・フェニックスについてSNSに寄せられてる声をご紹介しましょう。

BSでスタンドバイミーやってる。平成ちょい前の作品だけど、当時の純真さを振り返ってみるという意味では今日観るのは最適かも。
それにしてもリバーフェニックスがやはりカッコよすぎる。

リバー・フェニックスが出演している作品は、再放送されているものも少なくありません。そこでリバー・フェニックスを観ると、そのかっこよさを改めて実感するのではないでしょうか。

さっきテレビに藤井フミヤさんが出演してて、友人がそういえばチェッカーズ好きだったなぁ~と思い出し、その頃私はリバー・フェニックスが好きだったんだよなぁ…
と、突然リバーのこと考えて泣きそうになった(/ _ ; )

1度好きになった俳優は忘れないものです。ふとした瞬間に思いだし、出演作品を観たくなる人もきっといるでしょう。

カート・コバーンの自殺も結構ショックだけど…

私にはリバー・フェニックスの死の方が後にも先にも最大にショックだったなー。
つか、未だにリバー・フェニックス以上に好きな人いないわ。

リバー・フェニックスの死を悲しんだ人はとてもたくさんいました。他の俳優の死も悲しいけれど、リバー・フェニックスの死が一番悲しいと言う人もいます。そのことからもどれだけ愛されていたのかが伺えるでしょう。

私は、「おっさん」と呼ばれる年齢の、彼の映画が観たかった。彼がインタビュアー扮する、「インタビュー・ウィズ・バンパイア」を観たかった。(クリスチャン・スレイターさんも大好きですが)老け込んでも、中年太りしても、結婚離婚を繰り返していてもいいから、47歳の彼に存在していて欲しかった。「リバー君」ではなく、「リバー・フェニックスさん」と、生きている彼を(ファンとして)呼びたかった。

ファンの中にはこのような気持ちを持つ人もいます。もしも麻薬中毒になっていなければ、このような夢もかなったことでしょう。しかし、現実はそうではありませんでした。彼の過去の作品を観ながら、彼の魅力を語るしかありません。

リバー・フェニックスは、とても魅力的な俳優です。昭和世代の女性にとってはとくにそのように感じるのではないでしょうか。もしもリバー・フェニックスの作品を観たことがないという方がいたら、ぜひ1度は観ていただきたいです。そして、彼の魅力を1人でも多くの人に知ってもらいたいと思います。

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