漁業に革命を!坪内知佳の改革術とは!?

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今回は、坪内知佳氏についてご紹介していきましょう。
坪内知佳氏は、現在山口県萩市において株式会社GHIBLIの代表取締役兼萩大島船団丸の代表も務めている人物です。
彼女は衰退の一途を辿っていた漁業を立て直し、第6次産業として復活させた改革者とも呼ばれています。
そんな彼女はどうやって改革を起こしていったのでしょうか?

今回は、坪内知佳氏の人物像から現在漁業全体で抱えている問題、そして彼女が行った地方創生活動についてご紹介していきます。
坪内知佳氏の活動について興味を持った方や、どうやって改革を起こしたのか知りたいという方は、ぜひ参考にしてみてください。

坪内知佳とは?

まずは坪内知佳氏がどんな人物なのかご紹介していきましょう。

坪内知佳氏は、1986年福井県出身で結婚を機に山口県萩市へと移住してきました。
元々大学を中退した後に自身が得意としていた翻訳を活かして翻訳事務所を立ち上げています。
その事務所では翻訳とコンサルティングを併せ持つ事業などを展開していました。

萩市を活動の拠点に移した際にひょんなことから漁業関係者と出会って現在の状況を知ります。
相談を受け地元漁業の立て直しを図ろうと決意し、2011年に合同任意会社となる萩大島船団丸の代表に就任したのです。
その後、2014年には株式会社GHIBLIを設立、同年にはウーマン・オブ・ザ・イヤーのキャリアクリエイト部門の受賞に至っています。

現在は1児の母として、家事・育児をこなしながら地元漁業におけるビジネスモデルを全国に広げようと活動しています。

漁業全体が抱える問題とは?

漁業は現在大きな問題を抱えています。
日本の漁業といえば、ピーク時には100万人をも超えるほどの漁業従事者がいたのですが、今では20万人も満たないほどで、当時の5分の1程度にまで減ってしまっているそうです。

特に問題化しているのは、漁業従事者が平均60歳以上と高齢化しており、新しく漁業従事者として入ってくる人がいないという点です。
平均所得も200万円程度で仕事もきつく、収入も安定しないことから漁業従事者の子どもであってもなりたがらないという現状があります。
また、仕事が辛く厳しいものになってしまうという点も一つの理由として挙げられるでしょう。
早朝2時や3時頃に船に乗って魚を収穫しに行かなければなりません。
慣れていなければ船酔いする可能性もありますし、力仕事にもなります。

漁業に人を入れるためにはどうしても収入改善が必要です。
長期的に収入が安定した状態を作らなければ後継者を作ることも難しいでしょう。
これは今から行動していかないと、高齢化も相まってかなり厳しくなってしまいます。
しかし、新しい一手がなかなか出せない状況にあるのです。

坪内知佳が起こした改革

現在の日本の漁業はとても苦境な時代に突入しています。
そんな苦境を乗り越えるために坪内知佳氏は改革を行っていったのです。
その改革とは、漁業を第1次産業ではなく第6次産業化することでした。
第6次産業は、生産者と消費者が直接的にやり取りを行うことで、中間マージンのコストを減らしつつ生産者自体の利益を高められるというメリットがあるため坪内知佳氏は注目していました。

例えばサバを獲るための漁だった時、もしスズキなどといった他の魚が紛れこんでしまったとしても市場に水揚げすればかなり安い値段で取引されてしまいます。
しかし、獲れたばかりの魚をその場で活け締めし、小ロットでも都市部にある飲食店などへ直接配送してしまえば、市場では安く取り扱われた魚が高値で取引してもらえるようになるのです。
農林水産省は6次産業化による地産地消を推奨していたため、坪内知佳氏はすぐに申請を行い、2011年5月には中国・四国地方で初めて農林水産省の認定事業者第1号になりました。

しかし、最初は漁業に関して右も左も分からない状況で、しかも労務や保険に至るまで様々な仕事をこなしていく必要がありました。
漁師の方はそういったことに関して分からなかったため、全て坪内知佳氏が任せられたのです。
また、組織を立ち上げた当初は、漁師から反発を受けていました。
今まで自分たちがやってきたところに突然よそ者が入り込んだような感覚になったのでしょう。
坪内知佳氏がスーツで港にやってきたところを見て、その格好でどうやって仕事をするんだと詰られてしまったこともあるそうです。

このような反発を受けても、坪内知佳氏は諦めませんでした。
坪内知佳氏はスーツを着るのを止めてジャージを着用し、漁師達に混ざりながら魚を絞めていったそうです。
また、屈強な漁師達に対しても怯むことなく立ち向かっていきました。
時には適当に魚を箱詰めしている姿を見て、きちんと数も数えられないのかと声を荒げて怒ったこともあったそうです。
こうして漁業の現場に実際に入り果敢に立ち向かっていったことで、漁師達から信頼してもらえるようになっていきました。
また、この頃から徐々に成果も出始めて漁師達の行動も変わってきたそうです。

他にも、失敗する要因を全て取り除くことも坪内知佳氏が起こした改革の一つとして挙げられます。
事業を展開する際に、どうしても成功を生み出そうという考えに基づいてしまいがちなのですが、坪内知佳氏はとにかく失敗する要因を徹底的に取り除くことを意識して事業を行っていました。
改革をしているからと言って無謀なことはせず、一つひとつの課題に対して丁寧に取り組んでいったそうです。
大きな赤字や倒産だけは回避することができれば、少ない利益であっても良いという考えを持っています。

新たな地方創生活動

最近では新たな地方創生活動も手掛けるようになっています。
そのうちの一つが、漁師民宿です。

漁師民泊とは、漁師が作ったご飯を食べて、漁師と一緒にお酒を飲んで語らうことができる民宿です。
これまでは地域での暮らしや漁師の生活について知ることができる日帰りツアーを企画していましたが、島ののんびりとした雰囲気や空気を堪能してもらい、またそこで生産している人たちの話をたくさん聞けるように企画されました。
クラウドファンディングで呼びかけたところ、目標額300万円を大きく超え、約400万円以上もの支援金が集まりました。
この資金は漁師民宿の立ち上げ資金として利用されていくそうです。

まだ完成しているわけではないものの、新鮮な魚介類に舌鼓を打ち、美味しいお酒と共に漁師の話を聞ける貴重な機会になることでしょう。
漁師民宿によって地域に人が集まるようになることも期待できます。

総括

ここまで坪内知佳氏について、そして坪内知佳氏が行ってきた改革や新たな地方創生活動についてもご紹介してきました。
坪内知佳氏も最初は漁業に関して全く分からないところから始まっています。

しかし、現場へ実際に乗り込み漁師達と仕事をしていく中で信頼を勝ち取ることができました。
また、事業を成功させるのではなくリスクを徹底的に排除するやり方で、結果的に成功へと導いていくことができたのです。
このような仕事術はなかなか実践できるものではありませんが、大きな成功を狙うのではなくリスクを排除すればどうにでもなるという心構えは、色んな分野の事業においても言えることなのではないでしょうか?
坪内知佳氏の活動が今後全国的に展開され、日本の漁業の衰退を食い止められるくらいの力を持ってほしいと願っています。

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